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キリタ(MIX:享年18歳)

たくさんの「愛」をくれた~キリタ~

キリタ






ベルと一緒に生活を始めてから、たった2年半で悲しい別れをし
私はペットロスで辛い日々を送っていました。
学校でのいじめも無くならない、学校が終わっても、ベルと遊ぶという
楽しみもなくなった、母は毎日仕事で忙しくて会話もあまりない。
私にはもう心の拠り所がなくなっていました。

ある日、母が休みで家にいた時です。
母の友人が遊びに来て、こう言いました。


「ウチでワンちゃんが生まれたのよ。もう一度ワンちゃん飼わない?」


子供ながらに、また犬を飼ったら「大切なものとの別れ」
迎える日が来るんだ・・・という恐怖もありました。
でも、当時まだ子供だった私が一番最初に思ったのが


「もしかしてベルの生まれ変わりかもしれない!!」


という事でした。


後日、その母の友達の家に、母と一緒に行きました。
とってもとっても遠い道のりでした。
でも、ベルの生まれ変わりだと信じてやまなかった私は
ひどい車酔いをしながらも


「きっとベルそっくりなんだ!」
「ベルは生まれ変わっても私の事を覚えているかな?」



なんてワクワクしながら、母の友達の家へ向かったのを覚えています。

母の友達の家に着いて、私は家へは入らずすぐに庭に行きました。
またベルに会える!!頭の中は、その事しかありませんでした。


庭に、ママワンコと、元気な5匹の子犬がいました。
子犬の背中に、ベルと同じグレーのダイヤ柄の子がいないか探しましたが
残念ながら、みんな白い毛に薄茶色が混ざっていて
ましてや、そんな珍しい模様の子などいるはずもありませんでした。

でも、1匹ベルにとても良く似た、たれ耳の子犬がいました。
子犬の頃のベルとは違って、とても元気な子でした。


「この子にする!!」


と、その子犬を母の友達のところへ抱いて行くと

「あ~やっぱりね~。ベルちゃんに似てるから
きっとその子を選ぶと思ったよ。」と言われました。

実は私の母が、ベルが死んでからの落胆した私の様子を見て
母は友達に、どうしたらいいか相談していたそうです。
そして、母の友達が


「もう一度犬を育てさせてみたら?」


と言ったのだそうです。


その日のうちに、その子犬は我が家へ来ました。
当時人気のあった、久保キリコさんのイラストに出てくる
トマト頭の男の子「キリタ」くん。
母も私も、そのキリタくんのイラストが大好きだったので
この子犬の名前は「キリタ」になりました。



私はベルの時と同じように、学校が終わったら毎日キリタと
遊びに行っていました。
本当に元気で、とても優しくて、子供ながらにキリタから
愛されている事が実感できました。


ある日、雪道でキリタと遊んでいる時に、私は圧雪で滑って
転んでしまいました。
すると、普段吠えた事の無いキリタが狂ったように吠え
転んでひっくり返っている私を、揺すり続けました。


あれは何だったんだろう・・・。


数日しても気になっていた私は、もう一度同じ事を再現して
転んでみました。
またキリタは吠え、私を揺すりました。


「大丈夫?どうしたの?ねえ、大丈夫?」


そう言っているようでした。

その後春になり、夏になり、秋になっても、私が突然寝そべってみたり
死んだフリをすると、同じ事をしました。
とても優しくて、心配性のキリタでした。


母は相変わらず忙しい毎日を送っていて、私は社会人になっていました。
キリタとは変わらず一緒で、途中から一緒に暮らすようになった
ヨークシャーテリアのトトとも、とても仲良しでした。


でも生活は最悪でした。
母が働いている会社の独身男性のお客さんから、我が家は嫌がらせを
受けるようになりました。
母にストーカーのように付きまとい、家の壁にスプレーペンキで
悪戯書きをされたり、ポストに脅迫状が入っていたり。
毎日いたずら電話が鳴り続け、母はノイローゼ気味になっていました。
警察に相談しても取り合ってもらえず、引越しをする事しか
逃げる方法がなくなっていました。

たまたま母のいとこが、他県のとある町役場に勤めていて
ちょうど町営住宅に空家があるから、そこに住んだらどうだと
言ってくれました。家賃もとても格安です。

但し、そこの住宅はペット禁止でした。
母のいとこの権限で、何とか室内犬のトトは受け入れてもらえましたが
外飼いのキリタはダメだと言われました。2匹室内で飼う事も禁止されました。
そこで母はある決断をしました。


私の弟があと1年で高校を卒業し、社会人になる。
そうしたら家を建てよう!!
家が建てば、この町営住宅から引っ越せるから、それまでキリタは
祖父母の家に預かってもらおう



と。
私は大反対でした。
一時もキリタと離れたくありませんでした。でも

「家が建ったら必ずキリタを迎えに行くから」
「1日も早く家を建ててキリタとまた元の生活に戻れるように頑張るから」


という、母の強い説得で、キリタは祖父母の家に預かって
もらう事になりました。


離れて暮らしていても、祖父母の家は車で30分ほどの所にあったので
毎週日曜日には、キリタに会いに行く事が出来ました。


祖父母の家に行くと、きまって話題はキリタの話でした。
毎日祖父は、キリタと一緒に畑に行って畑仕事をしている事
祖父が畑仕事をしている間は、ずっと畑で走り回り、時には
土を掘って、せっかく祖父が植えた大根を食べてしまった事。

とても無口で頑固な祖父が、それはそれは楽しそうに目を細めて
キリタの事を話してくれました。



祖父母の家にキリタを預かってもらって2年が経ちました。
母も、約束通り立派な家を建てました。

でも、その新しい家にキリタを迎えるのはやめました。
キリタはすっかり、祖父の家の子供になってしまったからです。
祖母に頭を下げられ、こう言われました。


「お願い。キリタを連れていかないであげて」



とても頑固で無口な祖父が、祖母にまで毎日楽しそうに
キリタの話をするんだそうです。

キリタが一度だけ、リードが切れて逃げた時も、祖父は自転車で
3日間探し回り、ご飯も喉を通らず、ろくに寝ずに心配して
キリタが泥だらけになって帰って来た時は、涙を流して
ずっと抱きしめていたそうです。

もう祖父とキリタは「一心同体」になっていました。
私達が飼っていた頃よりも、キリタは筋肉モリモリになっていて
がっしりとしたナイス・ガイになっていました。


キリタとまた一緒に生活出来る事を楽しみにして
やっとキリタを再び迎え入れる準備が出来たのに。



キリタを迎え入れるのは諦めました。
どんな理由であれ、私達の勝手でキリタを祖父に預けたのですから。
それに、キリタももう歳を取っていました。
今から新しい環境で暮らすのは、かえってストレスになる。
キリタを連れて行く事は、祖父から身体の一部をもぎ取るような
気持ちにもなりました。
キリタも、祖父を愛しているのが伝わってきました。

歳を取っているのに、元気でがっしりした体つき。
これは祖父がキリタを大切に育ててくれた証でもありました。


キリタが祖父の子供になっても、私達はキリタに会いに行き
キリタも私を覚えてくれていて、とても喜んでくれていました。
私が旦那と結婚し、嫁に行ってもキリタは祖父といました。


桜の咲く4月のある日。
母から電話がかかってきました。


「キリタ、亡くなったって・・・。」


祖父が泣きながら電話をかけてきたそうです。
ひどい嗚咽で、何を言ってるのかも分からないくらい取り乱して。
老衰での安らかな死に顔だったといいます。



「幸せだったよ、じいちゃん」



きっと優しいキリタは、そう言い残して天へ召されたと思います。



そして、その年の10月。
祖父も畑作業中、農具での事故で亡くなりました。


今頃天国で、祖父もキリタも再会出来たでしょう。
天国でも「一心同体」
もうきっと離れる事はないと思います。


キリタ。
私に、そして祖父にたくさんの愛をくれた、優しい子でした。





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